先日、テレビでブエルタ・ア・エスパーニャを見ていたら、レース終了後に日本で行われたレースが映し出されました。
Jプロツアー第17戦「JBCF南魚沼ロードレース」
先日、ブエルタ・ア・エスパーニャを見ていたところ、レース終了後に日本で行われたレースのダイジェストが映し出されました。
何の気なしに見ていたのですが、序盤から一人の外国人選手が抜け出して、そのまま独走優勝。まさにぶっちぎり。
追いかけた日本人選手も居たのですが、序盤そうそうに千切られてしまいました。
この外国人選手は誰だ?と思い、早速調べたところ、すごい選手でした。
彼の名前はフランシスコ・マンセボ。
フランシスコ・マンセボのプロフィール
フランシスコ・マンセボ・ペレス(Francisco Mancebo Pérez、1976年3月9日 – )は、スペイン・マドリード出身の自転車競技(ロードレース)選手。2019年現在、コンチネンタルチームのマトリックス・パワータグに所属。
経歴
1998年にバネスト(後の モビスター・チーム)に加入し、プロ転向。
1999年 ツール・ド・フランス 総合28位。
2000年 ブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオン 総合優勝、ジロ・デ・イタリア 総合20位、ツール・ド・フランス マイヨ・ブラン総合9位
2001年 ツール・ド・フランス総合13位
2002年 ツール・ド・フランス総合7位 ブエルタ・ア・ブルゴス 総合優勝
2003年 ブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオン 総合優勝 ツール・ド・フランス 総合10位、ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合5位
2004年 スペイン選手権・個人ロードレース 優勝 ツール・ド・フランス 総合6位 ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合3位
2005年 ツール・ド・フランス 総合4位 ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合3位、区間1勝(第10) ジャパンカップサイクルロードレース 2位
2006年 前身のバネスト、イリェス・バレアルス時代を含めて、8年間に亘って在籍したケス・デパーニュを離れ、AG2R・プレヴォワイアンス(後の AG2R・ラ・モンディアル)に移籍。ツール・ド・フランスの前哨戦となるドーフィネ・リベレでは、ポイント賞を獲得した。しかしその後、オペラシオン・プエルトにかかる疑惑が持たれ、同年のツール・ド・フランスのメンバーから外されたことを契機に、チームを離れた。
2007年、リラックス・GAMに加入
ブエルタ・チワワ・インテルナシオナル 総合優勝 ツアー・オブ・チンハイレイク 総合3位
2008年、ポルトガル籍のフェルカセ・ロタ・ドス・モヴェイス移籍。
• ブエルタ・チワワ・インテルナシオナル 総合優勝
2009年、アメリカのロックレーシングに移籍した。
• ブエルタ・ア・アストゥリアス 総合優勝 ツアー・オブ・ユタ 総合優勝
2010年、イラクリオン カストロ – ムルシアに移籍。ツール・ド・ラ・ガドループ 総合優勝
2011年、リアルサイクリストコムに移籍。
• レッドランズ・バイシクル・クラシック 総合優勝 シー・オッター・クラシック 総合優勝 ツアー・オブ・ザ・ジラ 総合優勝 ツール・ド・ボース 総合優勝 カスケイド・クラシック 総合優勝
2012年 タクソン・バイシクル・クラシック 総合優勝 ツアー・オブ・ザ・バッテンキル 優勝 ジョー・マーティン・ステージ・レース 総合優勝 カスケイド・クラシック 総合優勝
2014年 ツール・ド・熊野 総合優勝
2018年 Inteja Dominican Cycling Teamに移籍。
2019年 マトリックス・パワータグに移籍。
wikipedia 注: 太字は管理人
すごい経歴です。総合優勝が17回もある・・
彼は、ツール・ド・フランス総合4位。ブエルタ・ア・エスパーニャ総合3位を2度。そんな選手が日本で走ってくれるなんて。感謝です。
グランツールは、自転車ロードレースの最高峰のステージレースです。
グランツールはツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャと3つあり、全て21ステージからなります。
そして、マンセボは、御年43歳。
最近はプロのスポーツ選手でも40歳を超えて現役を続けることはそれほど珍しくはありません。
ですが、ぶっちぎりの優勝。
日本の若い選手達に1分24秒もの大差をつけて。
世界とのレベルが違うのは分かっていましたが、まるで大人と子ども。
世界の強さを見せつけられました。
日本人は何をしている?
折しも新城幸也選手がグランツールの一つであるブエルタ・ア・エスパーニャで世界と、というか世界で戦っていました。
新城幸也選手は、ブエルタの最終21ステージでは果敢に攻めて最終のゴールスプリントに参加していました。結果は16位。
今シーズン途中で怪我をしたにもかかわらず、復調してここまで(グランツール完走まで)持ってきたのはさすがです。
トッププロチーム内でのグランツールのセレクションに残るのも大変なことです。
それに引き換え日本の選手たちは・・
同じ番組内で2つのレースを対比して見せられたことでこういう気持ちになってしまっただけなのかもしれませんけれど。
レースのダイジェストを見た限りでは、前を逃げるマンセボ選手に比べて、後ろの集団の選手たちはペースを上げるでもなく我関せず、という感じに見えました。
普通レースでは、逃げた選手がいた場合、後ろの集団は逃げをコントロールし、逃げを泳がせて(まえで走らせて)、計算してゴール前で仕留めます。
集団で仕留めて飲み込んだあとは、最後は集団によるスプリントや再度の逃げなどまた作戦を繰り出します。
こういった頭脳プレイが見られるからこそ、自転車ロードレースには面白さがあるのです。
後ろを走る集団には追いかけようとする気概が見うけられません。
前を走るマンセボ選手のほうが高いケイデンス。足も回っています。
後ろの集団はサイクリングですか?という感じにみえます。
まあ1分24秒の差なのでそこまでひどくはないでしょうけれど。
とはいえ、集団は多人数の走りによるメリットが有るのだからそれを最大限に利用してほしかったです。
自転車レースは空気抵抗との戦いでもあります。高速で走れば走るほど、空気抵抗は増します。その分疲労も大きくなります。
前に走る人がいれば、その人が風よけになり、1人で自走するよりも力は少なくてすみますし、空気抵抗も減ります。ですから、チーム内の1人を勝たせるために、戦略を組み、集団で、チーム同士で戦うのです。
年齢を重ねたとはいえ世界のトッププロを相手にして、レベルが違うからと言ってレースを投げ出したように素人目にも見えてしまうのはいかがなものかと思いました。
レベルが違うなら違うなりの戦い方があるはずです。
「あーあいつ、ぶっちぎりだし、俺ら勝てっこないからこのレースは消化試合だな」
なんていう心の声が聞こえて来そうでした。
何人かマンセボ選手に食らいつく選手が居たのでそれだけが救いです。
トッププロだった選手が日本に来てしっかり走ってくれるのですから、日本の選手もそれに見合った戦いをしてほしいものです。
まとめ
- マンセボはすごい。日本に来てくれて感謝
- 日本人はマンセボに食らいつけ
最後までお読みいただきありがとうございました。