元の木阿弥。聞いたことのある方もいらっしゃるでしょう。ことわざ、故事成句の類です。
もとのもくあみと読みます。
先日、とある記事を読んでいたら、「元の木阿弥に戻っている」という表現を見かけました。株価の変動を評していたのですが、ちょっとした違和感をおぼえました。元の木阿弥が元に戻るという意味なのだから、二重の表現になっていないか?と思ったのです。
なので調べました。
元の木阿弥 の意味
いったんよくなったものが、再びもとの状態に戻ること。
デジタル大辞泉
「元の木阿弥」は、一度は良くなったものが、元の状態に戻ること」という意味です。悪い意味ではなく「元の状態に戻る」ということが特徴的です。一旦はプラスに転じたけど、今はプラマイゼロ、という状態でしょう。
また、「一度よくなったものが元に戻る」という意味から転じて、「これまでの行い(努力)が無駄に終わる」という意味でも使われています。無駄に終わるという意味でいうと、類語に「水泡に帰す」があります。
由来は?
この言葉の由来は以下の伝承から来ています。
[補説]戦国時代の武将筒井順昭が病死した時、死を隠すために、その子順慶が成人するまで、声の似ていた木阿弥という男を寝所に寝かせて外来者を欺き、順慶が成人するや順昭の喪を公表したために、木阿弥は再びもとの身分にもどったという故事からという。デジタル大辞泉
Wikipediaに筒井順昭の項目で詳細が載っていましたので引用します。
筒井順昭
時代 戦国時代
生誕 大永3年2月15日(1523年3月2日)
死没 天文19年6月20日(1550年8月2日)
別名 栄舜坊
墓所 圓證寺
官位 官符衆徒
氏族 筒井氏
筒井 順昭(つつい じゅんしょう)は、戦国時代の大和国の大名。筒井順興の嫡男。筒井順慶の父。興福寺官符衆徒であった。筒井城を居城とする。
大和に勢力を持っていた越智氏に対抗するため、当時の畿内の実力者・木沢長政と結び、勢力を拡大する。木沢長政の死後は、その残存勢力を破って拡大し、袂を分かちあっていた十市遠忠と和すなど、大和一国をほぼ手中に収め、筒井氏の全盛期を作り上げた。
しかし1549年(天文18年)病を苦にして家臣数人を連れて突如、比叡山に隠居。天然痘・脳腫瘍を患っていたという説がある。翌年に死去。嫡子の藤勝(順慶)はわずか2歳の幼子であったが、弟の順政、順国らが補佐し、大和支配を保った。
なお、順昭の供養塔である五輪塔(重要文化財)が、奈良県生駒市の圓證寺にある。
元の木阿弥
順昭は死の間際に家臣を集め、子の順慶への忠誠を誓わせるとともに、敵を欺くため、自分と良く似ている木阿弥(もくあみ、黙阿弥とも)という奈良の盲目の僧を影武者に立て、3年間(資料によっては1年間、あるいは子の順慶が成人するまで)死を隠すことを命じた。木阿弥は身代わりの間、贅沢な暮らしができたが、筒井家臣団が順慶の下で体制を整えなおした後に奈良へ帰され、元のただの僧の木阿弥に逆戻りした。このことから「元の木阿弥」という故事成句が生まれたといわれる。
Wikipedia
元の木阿弥は、故事由来の、故事成句になります。
故事成句は、昔の出来事を元にした教訓、言葉です。
主に中国の故事から取られていることが多いのですが、この元の木阿弥は、日本が発祥のものということです。
元の木阿弥の使い方
一旦はよい状態まで行ったのに、元の状態に戻ってしまった、とか、努力が無駄に終わった、という場面で使われることが多いです。
冒頭の表現でいうと、単に「元の木阿弥です」または、「元の木阿弥になってしまいました」で良かったのではと思われます。ただ、戻っているということを強調したいがために元の木阿弥に戻った、という表現にしてしまったのでしょう。
ともあれ、言葉は時代とともに変化します。将来的には、元の木阿弥も本来の意味のプラスからプラスマイナスゼロではなくて、マイナスにいってしまうような状態を指したり、戻っているということを強調するような表現になっていくのかも知れません。
日本発祥の言葉である「元の木阿弥」、これからも大切に使っていきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。