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八千草薫さん逝去。最後の手記に書かれた言葉とは?

  • 2019年10月29日
  • 2020年2月12日
  • 女優
  • 44回
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女優の八千草薫さん。とても可憐でおしとやかな女性でした。正直なところ、若い頃の彼女は年代が違うため、壮年から晩年の彼女しか存じ上げませんが、観る者にやすらぎや安心などを感じさせてくれる、稀有な存在だったと思います。もちろん、実際にお会いしたことはないので、上記はあくまでも想像ですが、内面からにじみ出るものがあったと感じています。

その八千草薫さんの、最後の手記と言われるものが文藝春秋さんから出ており、とても印象にのこりました。

彼女の手記ですから、彼女の内面を知る面もあるのですけれど、今を生きる私達に呼びかけている気がするので、印象に残った言葉を書いてみます。

馬馬虎虎

『これは中国の言葉で、「まあまあふうふう」という読み方をするのだそうです。本来は「いい加減な」とか「やっつけに」という意味があるようですが、私達夫婦は「良い加減」という解釈で使っていました。肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる、といったニュアンスになるのでしょうか。主人にこの言葉を教えてもらってからの私は、良い加減に力を抜き、楽に生きることが出来るようになった気がします。

文春オンライン【最後の手記】がん闘病中の八千草薫さんは「ちょっとだけ無理をして生きたい」と語っていた

 歳をとるにしたがって、「まあまあふうふう」はいっそう、私の心の奥深くまで染み込んできています。』

文春オンライン【最後の手記】がん闘病中の八千草薫さんは「ちょっとだけ無理をして生きたい」と語っていた

以前私が読んだ本で、ある言葉を推奨していました。

それは、「イーンダヨ」。

なんでも「イーンダヨ」。どっちでも「イーンダヨ」。そうしたければそうしたって「イーンダヨ」。したくなければしなくたって「イーンダヨ」。魔法の言葉です。

神様とのおしゃべり。

八千草さんの手記を読んで、真っ先にこれが頭に浮かびました。いい加減に、程よく生きる、全てに完璧をもとめるがゆえに緊張して苦しくなってしまうから、ちょっと緩めて、良いんだよ、馬馬虎虎。

ニュアンスが少し違うかも知れませんが、私の中では重なる部分が多い言葉でした。

イーンダヨと同じように、馬馬虎虎(まあまあふうふう)も生活に取り入れてみようと思います。

今を生きる

手記には、こうありました。 

「どうにもならないことをうだうだと考え続けるのはつまらない。」

文春オンライン【最後の手記】がん闘病中の八千草薫さんは「ちょっとだけ無理をして生きたい」と語っていた

つまらない、本当にそうですね。

時間のムダでもあります。

考えてどうにかなるのなら、考えても良いと思います。それは、未来を良くするために今を生きていることですから。

「時間というのは、人間にも動物にも植物にも平等に与えられるものです。死も一緒です。生きとし生けるものに、確実に訪れます。私も病気をしたことで、自分の「死」が近づいたことを感じました。

 ですが、全ての生き物の中で人間だけが、取り返しのつかない過去を嘆いたり、どうなるか分からない未来を不安がったりしています。過去や未来のことを心配しても何にもなりません。どうにもならないことは考えなくていいのです。

 では何を大事にして生きればいいのか。

 それは「今」です。1日をきちんと大切に生きるというのが、本当はとても難しい。目の前のことをごまかして先に進んでも、結局はうまくいかなくなります。私は「今」というこの瞬間から逃げず、一瞬一瞬を大事にして生きたいです。」

文春オンライン【最後の手記】がん闘病中の八千草薫さんは「ちょっとだけ無理をして生きたい」と語っていた

引用の2つ目はちょっと長文です。終わりの方の文章だったのですが、どれも良い言葉ですので、あえて切り取らず段落全部を引用させていただきました。

この「今を生きる」、本当に難しいです。

ちょっと空き時間があると、スマホで暇つぶしゲームとかやってしまいます。

本当は、暇つぶしの時間なんてないのに。

人間は刻一刻と死に近づいていっているのに。それは間違いない。でも考えないようにしている。

流行りのマインドフルネスも「いま」「ここ」 です。

今、ここを大切にするからこそ、新しい未来が開ける。でも未来なんてない。未来は人間の想像の中にあるものだから。すべては今だけ。一瞬、一瞬を大事に大切に生きていくこと。

八千草薫さん、本当に良い言葉たちをありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。